碇ヶ関温泉

青森県

鎌倉時代に津軽四代藩主・信政公が入湯したのが、碇ヶ関温泉の始まりという由緒ある温泉。それ以前にも鎌倉時代に開湯されたと云う説も残っている。藩政時代には関所が置かれ、初の日本地図を作った伊能忠敬や、幕末の名士・吉田松蔭なども入湯したという記録も残っている。明治から昭和にかけては、陸軍の保養所として利用され、古くからの湯治場・碇ヶ関簡易保険保養センターは、碇ヶ関温泉会館と平川をはさんだ対岸の村役場近くに位置する。湯量が豊富でのびのびと湯浴みを楽しむことができ、癖のない柔らかい弱食塩泉で身体が心から温まる良泉。温泉の泉質は弱食塩泉、含食塩石こう泉、含土類石こう食塩水など。温泉の効能はリウマチ、神経痛、神経炎、創傷、痛風など。

【開湯日】

鎌倉時代(詳細は不明)

【温泉の泉質】

弱食塩泉、含食塩石こう泉、含土類石こう食塩水など

【温泉の温度】

45.5度他

碇ヶ関温泉 アクセス

●JR碇ヶ関駅➡︎車➡︎約5分  ●東北道➡︎碇ヶ関IC➡︎車➡︎約10分
●弘前➡︎R7➡︎車➡︎約25km ●JR奥羽本線➡︎津軽湯の沢駅➡︎下車
●JR奥羽本線➡︎大鰐温泉駅➡︎弘南鉄道線大鰐駅➡︎徒歩➡︎約5分

碇ヶ関温泉 近くの観光ガイド【葛西善蔵文学碑】

葛西善蔵は、明治20年に弘前市に生まれ、7歳から15歳まで母の実家がある碇ケ関村に居を定めた。上京後の大正7年に短編「子をつれて」を発表し文名を高め、明治45年に舟木重信や相馬泰三らと同人誌「奇蹟」を創刊。その後は「子をつれて」「椎の若葉」「湖畔日記」などを発表。「私小説の神様」とも言われ、その存在は広く知られたが、東京都世田谷区にて41歳で生涯を終えたが、心境小説・私小説で絶頂を極めた葛西善蔵の文学碑が三笠丸山公園に建てられている。

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